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不育症と診断されて 三度の流産と二度の切迫早産を乗り越えての出産

こんにちは。

今日もムシムシ暑いです。

最近色々な事が、「そんなこともあったなあ・・」と、
客観的にみられるようになっています。

当時は辛かった。出口のないトンネルを歩いているようだった。
それでも、日々の積み重ねは、そうしてくれるんですね。

持病を抱えての出産をきめる

私は持病で薬を飲んでいました。
医師からも、その薬を服用しての妊娠については説明されており、
夫婦で出産については先延ばしにしていた気がします。

それでも、年齢を考えるとそろそろ・・・というタイミングに、夫に切り出しました。
やっぱり赤ちゃん欲しいんだよね。

「そうだね。わかった。」

色々なリスクを考えた上で、散々話あった上で決めました。

あっという間に妊娠 三度の流産

すぐに妊娠しました。
「え?もう?」後から振り返って聞いた時、夫はそう思ったそうです。
大事に大事に。なるべく無理をせず過ごし、夫もとても気を使ってくれました。

心臓が確認できません。
3度、流産したのです。
不育症。原因は不明との診断でした。

不妊治療 

その後、友人が貸してくれた不妊症の本を頼りに、病院を変えてみました。
同じことをしていたのでは、繰り返すだけ。

大学病院から、東京目白の個人クリニックに転院しました。
20年近くも前の事ですので、今あるかもわかりませんが、先生も看護師さんも
お優しくて救われました。

子宮内膜症と診断されました。
病名がついただけでも、安心しました。

しかし、当時は不妊症に対して補助金なんてものはなく、
保険もきかない自費治療でしたので、
月に5万円ほど診察とビタミン剤処方でかかった記憶があります。

検査をすれば、加算されますし、家計には負担になりました。
そのクリニックにかかった治療費だけで、大体100万円足らずだったと記憶しています。

不妊の原因は私にあったので、治療費は自分で出したいと思い、派遣で週に3日くらいの仕事を
みつけ収入を得ていました。
治療中はいつが通院日になるかわからないので、フルタイムは出来なかったんですね。

病院はいつも、大混雑していました。
ここは妊娠訓練学校?!と本気で思うくらいの雰囲気でした。

無事妊娠した人だけが通される部屋があります。
生理がきてしまい、診察だけになると通常の診察室です。
あー、あの部屋が羨ましい・・・。

大体、私と同じ子宮内膜症の診断の方が多く、
血行をよくするために、よく体を動かして、
体を締め付ける服を着ないことと指導されます。

毎日、スポーツジムに通いました。
よく散歩していました。

出産まで

あー、お金かかるなあ。いつまで続くんだろう。
生理がくるとがっかりで涙がでてくることもありました。

友人たちは、皆赤ちゃんが生まれ、子育て中。
だんだん疎遠になっていくんですよね。

そんな時、通院から1年かからずして、妊娠の兆候がありました。
でも私の場合、ここからが、心配。
無事に出産に至るかどうか。

不安の日々でした。
精神的に不安定で。雨が降ってもジムに通い、傘をさして散歩を
していましたね。

今思うと、足を滑らせたりでもしたら危険なので、
絶対にしませんが、当時はすがる思いでした。
(私の場合は、体を動かすように指導されましたが、症状はそれぞれです。
安静が必要な方もおられると思いますので、お医者様の指示に従ってくださいね。)

そんな時、父と話して少しずつ気が楽になった記憶があります。
大丈夫だよ、大丈夫。

そう言われて、なんとなく落ち着いたんですね。

デパートで子供服をみたり、子供との未来を具体的に想像していました。
同じ不妊の経験をして、お子さんを授かった先輩がよく話相手をしてくれました。

不思議な出来事

そんな時、先輩のお子さん、いつも私の顔を見ると逃げて大泣きする
2歳くらいだった男の子なんですが、私に近寄って、
私の名前を○○ちゃん!と呼び、楽しそうに落ち葉を投げかけてきたんですね。

今日はどうしたのー?○○ちゃんと遊んでくれるの?

不思議だなあと思ってましたが、なんとなくお腹に赤ちゃんが元気でいるのを、
小さい子供は、感じ取っていたのではないかなと、印象に強く残っている出来事です。

出産まで

その後は安定期まで、その病院でお世話になり安定期以降は大学病院に
移りました。だいぶお腹が大きくなった頃、切迫早産で今度は絶対安静!
ベッドで点滴につながれる日々となりましたが、そのまま37週で、
無事に出産。第一子を迎える事ができました。

あの、出口の見えないトンネルを歩いているような、不妊症の間の辛さは、
当人でないと分からない
と思うんですよね。

赤ちゃんの写真付き年賀状をみるだけでも、正直複雑な気分になるものでした。
たとえ夫でも全てを理解してはいなかったと思います。
それでも、多くを語らず、7年間寄り添ってくれた夫に感謝しています。

治療をするかしないかは、夫婦で決める事です。
治療をすると選択した場合は、自分の納得のいくまで進みたいです。

私が苦しんでいた約20年前は、スマホなんてありませんでした。
今は、生活必需品になっていますよね。

これからも医学、技術もますます発展して、治療の選択肢が更に増え、
法の整備も進んでいくことでしょう。

これから、社会で活躍するであろう若い方々に大いに期待します。
よろしくお願いします。

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